韓国ラッパーSan E 生い立ちから人気ラッパーになるまでの道のり。

2PMTWICE、また2020年に結成し、爆発的人気を獲得したガールズグループNiziUなど、名だたるアイドルグループを擁する所属事務所として名高いJYPエンターテインメントで、唯一ラッパーとして契約を勝ち取ったSan Eをご存知でしょうか。

JYPエンターテインメントの創立者であるパク・ジニョンがその才能を見出し、JYPエンターテインメントでは異例のソロラッパーとしてメジャーデビューを果たしました。

現在は独立し、アーティスト活動のみならず、人気バラエティへの出演など、多岐に渡り展開されています。

そんなSan Eの、生い立ちから、成功を掴み取るまでの軌跡を辿っていきたいと思います。

また、彼のファッションや代表曲などにも触れ、さらに彼の人物像に迫っていきたいと思います。

 

San Eのプロフィール

sbs.comより出典

出生名 정산(チョン・サン)
アーティスト名 San E
生年月日 1985年1月23日
身長 175cm
出身地 大韓民国 仁川広域市
レーベル JYPエンターテイメント / Brand New Music / 現在は無所属

San Eの生い立ちからJYPエンターテインメントとの契約まで

San Eは、1985年1月23日、大韓民国 仁川広域市で生まれました。学校の清掃員であった父親と、飲食関係の仕事をしていた母親との間に生まれ、裕福とは言えない環境で育ちました。

San Eが中学生の頃になると、家族は生活苦を理由に、出稼ぎのためにアメリカ合衆国ジョージア州アトランタへ引っ越します。San Eはそのアトランタで、多様な文化に触れていくことになりますが、San Eはとりわけヒップホップカルチャーに触発されることになります。

大学に進学すると、グラフィックデザインを専攻し、ヒップホップとは少し離れた、芸術的な方面に進んでいきますが、結果的には、彼の人生に強く影響を与えたヒップホップに立ち返り、ラッパーを志すこととなります。

ラッパーになる決心をしたSan Eは早速、楽曲制作に取り掛かります。そこで彼は、ラッパーとしてのスキルのみならず、ビートメイキングも含めたプロデューサーとしてのスキルも培っていきました。そして2008年には『Ready To Be Signed』、2009年には『Ready To Be Famous』と、早いスパンで自主制作のミックステープを世に発表していきます。San Eはそれらのミックステープ内で、ヒップホップシーンで自身の名前を売ることを目的として、当時アンダーグラウンドシーンで高い支持を得ていたラッパーVerbal Jintに対するディスソングを収録しました。

San Eの思惑通り、そのディスソングは見事にVerbal Jintの目に留まることになります。Verbal Jintはそのディスソングを通じ、San E高いラップスキルと、セルフプロデュース力を見出しました。そしてVerbal Jintはそのディスに対し、アンサーソングを返すことはせず、San Eを自身のクルーOverclassに招待しました。San Eは、Verbal Jintから願っても無いアンサーをもらうこととなりました。

San Eは、2009年にOverclassがリリースしたコンピレーションアルバム『Collage 2』に収録されたソロ曲『Rap Genius』で、高いラップスキルと、セフルボースティングと呼ばれる自身のスキルを誇示していくスタイルを見せ、一躍韓国ヒップホップシーンで話題となります。この曲は、2010年の韓国大衆音楽賞のヒップホップソング部門で受賞するまでの人気ぶりとなり、San Eは時の人となりました。

San Eの快進撃はそれだけに留まりません。彼の楽曲は、JYPエンターテインメントの社長パク・ジニョンの目にとまることになりますパク・ジニョンによってそしてその才能を見出されたSan Eは、韓国の三大音楽事務所の一つとされるJYPエンターテインメントと契約を結び、メジャーデビューを飾ることとなりました。

JYPエンターテインメントはそれまで、ラッパーとの契約を交わしたことはありませんでしたが、社長のパク・ジニョンにはヒップホップというジャンルを、幅広い世代に親しんでもらいたいという願いがありました。その願いを託す形で、San Eと契約を交わすことになりました。


San EのJYPエンターテインメントでの活躍から現在まで

soompi.comより出典

San Eは、そのJYPエンターテインメントから次々とシングルをリリースしていきます。2010年にはミニアルバム『Everybody Ready?』をリリース。韓国の総合チャートであるガオンチャートで17位を獲得するなど、ヒップホップシーンのみならず、世間の人気も集めるようになります。

その後San Eは、自身のさらなるキャリア展開のために、JYPエンターテインメントを脱退し、盟友Verbal Jintと共にインディーズレーベルBrand New Musicへ移籍します。そこでSan Eは、人気ガールズグループのAFTERSCHOOLのメンバーRainaとタッグを組み、メロウな楽曲を次々とリリースしていきます。そうしてSan Eは、2010年代に全盛期を迎えるアイドルブームの表舞台にも立つことで、人気をさらに確固たるものとしていきます。

また、複数バラエティへの参加も話題となりました。中でも人気ラップトーナメント番組「SHOW ME THE MONEY」シーズン3・4へのプロデューサーとしての出演は大きな反響を生むこととなりました。シーズン4では、盟友Verbal Jintと共にBand Newプロデューサーチームとして出演し、そのプロデュース力に注目が集まりました。


San Eのファッション

scmp.comより出典

San Eのファッションは、髪を後ろに流したラディショナルなヘアスタイルと、ジャケットスタイルを中心とした綺麗なコーディネートがその特徴として挙げられます。いわゆるラッパーの典型的なストリートなスタイルとはかけ離れたものとなっています。

koreaboo.comより出典

また彼のファッションは、雑誌「Cosmopolitan Korea」や、「GANGEE」を始めとする、多数の雑誌で、モデルとして起用されたことでも話題となりました。


San Eの代表曲

Rap Genius

2009年リリースのOverclassのコンピレーションアルバム『Collage 2』からの一曲です。高いラップスキルと、バイリンガルラップが話題となり、一躍シーンと話題となりました。2010年の韓国大衆音楽賞のヒップホップソング部門で受賞することともなりました。

 

Love Sick

JYPエンタテインメントメジャーデビュー後2010年にリリースされたミニアルバム『Everybody Ready?』からの一曲です。Overclass時代のハードコアな路線とは打って変わって、有名アイドルグループを多数擁するJYPエンターテインメントならではの、キャッチーな楽曲となっています。

 

A midsummer night’s sweetness

Brand New Music移籍後、AFTERSCHOOLRainaとタッグを組みリリースされたこの曲は、サビ部分をRainaが歌い上げた、メロウな一曲となっています。San Eはサビ以外の全てのパートを担当していますが、そこでは、Rainaの歌声に合わせた、メロウ寄りなラップを披露しています。


以上、San Eの生い立ちからJYPエンターテインメントと契約を掴み取るまでの軌跡、そして現在に至るまでの活動について触れていきましたが、いかがでしたでしょうか。

現在はBrand New Musicを抜け、独立して活動しているSan E。今後の彼のキャリア展開に注目していきたいですね!

韓国ヒップホップグループとラッパーについてもっと知りたい方は「おすすめの韓国ヒップホップグループ&ラッパー20選【2020年最新版】」を参考にしてください。