愛されギャングスタ・ラッパー、スヌープ ドッグ
一度聴くと忘れられない唯一無二のヴォイスとフロウのラップ・スタイルは、その「ゆるさ」と「強さ」の共存が人々を魅了して止みません。
常にシーンのトップに身を置くスヌープ・ドッグですが、彼の活動域は音楽だけに留まらないだけに、様々な疑問を持っている人も多いでしょう。
ここではそんなスヌープ ドッグの人となりに迫る情報(アルバム制作の経緯、ファッション、身長 など)をご紹介します。
目次
スヌープ ドッグのプロフィール
biography.comより出典
出生名 | Cordozar Calvin Broadus, Jr. |
別名 | Snoop Doggy Dogg、Snoop Lion、Snoopzilla |
生年月日 | 1971年10月20日 |
身長 | 193cm |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ |
レーベル | Death Row Records、No Limit Records、Doggy Style Records |
スヌープ ドッグの出生からデビューまでの道のり
Snoop Doggは1971年10月20日、ベトナム帰還兵で郵便配達員で歌手でもあった父Vernall Varnadoと母 Beverly Broadusの間にカリフォルニア州ロングビーチで生まれました。父Vernall はSnoopの出生後わずか3ヶ月で家を去ったため、Snoopの出生名、Cordozar Calvin Broadus, Jr.は継父のCordozar Calvin Broadus, Sr.によって名付けられた名前です。漫画、PeanutsのSnoopyが大好きでしかも見た目も似ているということで、両親は彼にSnoopyというあだ名をつけました。
Snoopは幼い頃から教会でピアノを弾いて歌っていて、学校では合唱やアメリカン・フットボールに熱心に取り組んでいたそうです。
小学6年生の時にはラップを始めていました。「俺が学校の廊下でラップしはじめると校長が喧嘩でも始まったのかと思うほどの騒ぎになったよ。それで俺は自分に与えられた才能に気づいたんだ。人は俺のラップに興味があるってことがわかって、それで俺は自分自身に興味を持てたんだ。」とSnoopは語っています。
10代の頃にはすでにギャングに入って違法行為に関わっていたとされています。彼自身はのちにそれを否定していますが、ロングビーチのイースト・サイドギャング「Crips」のメンバーだったようです。Snoopは高校を卒業してすぐにコカインの所持で逮捕され、その後3年の間頻繁に刑務所に入れられています。
1990年、Snoopは彼の2人のいとこであるNate DoggとLil’½ Dead、友人のWarren Gとともに宅録のテープを作ります。当時のロングビーチの市外局番である213を4人のグループ名として名乗っていました。
Dr.Dreのプロデュースによって華々しくデビュー。ギャングスタ・ラッパーとしての地位を確立
Snoopのソロでのフリースタイルのミックス・テープが偶然にもDr.Dreの手元に届き、彼はSnoopの才能に注目するようになります。Dr.Dreはウェスト・コーストのGファンクの創始者で、Eminemや50centなど、数々のラッパー達をスターダムに押し上げた名プロデューサーとして知られています。
1992年、ソロデビューシングル『Deep Cover』をDr.DreのプロデュースによりSolar RecordsSolar Recordsからリリースします。Snoopはその後Dreが創立したDeath Raw Recerdsと契約を結び、Dr.Dreのファースト・アルバム『The Chronic』にも参加します。
『The Chronic』は”永遠のクラシック”として、Kendrick Lamarはじめ数多くのアーティストにインスピレーションを与え続けています。2020年、米国議会図書館は『The Chronic』を国家保存重要録音物登録簿に登録しました。
1993年、Snoopは対抗するギャングが射殺された事件に関与した容疑で逮捕されます。その年の11月にファースト・アルバム『Doggy Style』がリリースされ、Billboard200で1位を記録します。Snoopの事件の裁判は長期化し、Dr.Dreはその後のアルバムの制作からは離れることとなります。
1996年、2枚目のアルバム『Tha Doggfather』がリリースされ、このアルバムはダブル・プラチナレコードとなります。
この後、SnoopはDeath Raw Recordsとの契約を解消します。ウエスト・コーストから距離を置くかのように、1998年にはサザン・ヒップホップの元祖、 Master P主宰の「No Limit Records」と契約を結びます。
2004年、Star Trak Entertainmentよりシングル「Drop It Like It’s Hot」をリリース、Billboard Hot 100で自身初の1位を獲得します。
その後Snoop Doggは立て続けに事件を起こします。2006年、南アフリカ公演へ向かう途中の空港で、職員に暴行を働いて逮捕、その年の10月にもやはり空港で違法駐車をした際に大麻と銃器の所持が見つかり警察に拘束されています。また、2007年にはスウェーデンで薬物使用の疑いで一緒にいた女性とともに逮捕されています。
他にも様々な事件を起こす一方で、Snoopは数々の曲やアルバムをコンスタントに発表し続け、2枚目の『Tha Doggfather』以降、2019年までに実に15枚ものアルバムをリリースし、その度に注目を浴びています。
ギャングスタ・ラッパーの代表格として名を馳せたSnoop Doggですが、もともとかなりのスポーツ好きで、2005年にはロサンゼルスのフットボールのユース・チームの運営に関わり、その様子はNetflixのドキュメンタリー『Coach Snoop』で取り上げられ、Snoop Doggのイメージは「Uncle Snoop」とも呼ばれように、親しみやすいものに変わってきているようです。
スヌープ ドッグのファッション
fashion-headline.comより出典
身長193cmのすらりとしたスタイルと端正な顔だちのSnoop Doggはヒップホップ界のファッションリーダー的存在でもあります。
Snoop Doggのコーンロー+お下げのヘアスタイルは日本のラッパー達にも真似されるほどの影響力がありました。
様々なスポーツのファンでもあるSnoop Doggはスポーツ・ウェアを利用することが多いようです。
クールなスーツ・スタイルもちろん着こなします。
hypebeast.comより出典
スヌープ ドッグの代表曲
Nothing’ But a ‘G’ Thang
Dr.Dreのファーストアルバム、『The Chronics』に収録されたフューチャリング曲。この曲は第36回グラミー賞でラップ部門の最優秀パフォーマンスに選ばれています。トラックにはLeon Haywoodの『I Wan’ta Do Something Freaky To You』 がサンプリングされています。
The Next Episode
Dr.Dreのセカンド・アルバム『2001』に収録されているフューチャリング曲です。ヒップ・ホップ好きではなくても、一度は耳にしたことがあるはずの大ヒット曲です。印象的なサンプリング曲はDavid MacCallumの『The Edge』。単にレコードをサンプリングしたのではなく、実際に生演奏をすることによって重厚なサウンドを実現しています。
Drop It Like It’s Hot
Pharrell WilliamsとChad Williamsによるプロデュース・チーム『The Nepunes』によるレーベル「Star Trak Entertainment」から唯一リリースしたアルバム『R&G (Rhythm & Gangsta)』のリードシングル。舌を鳴らす軽やかな音をサンプリングしたユニークな手法のトラックは、ヒップホップ のみならず、どのジャンルの音楽の中でも画期的な一曲と言えるのではないでしょうか。どこかコミカルな楽曲ですが、この曲の制作中、スタジオには40人くらいのCripsのメンバーが集まって、重い空気が立ち込めていたのだそう。アルバムタイトルのRhythm & Gangstaの名にふさわしい名曲です。
いかがでしたか?
彼に関して抱いていた疑問に迫ることができたでしょうか?
USラッパーについてもっと知りたい方は「USラッパー20選【2020年最新版】」を参考にしてください。