KID FRESINOの生い立ちやアルバム制作背景、ファッションに迫る。

DJ・トラックメイカー・ラッパーとして、多彩な才能を発揮するKID FRESINO

埼玉県が生んだ、実力あるラッパーです。

日本の人気HIPHOPユニットである、「Fla$hBackS」のライブDJとして参加しキャリアをスタート。2013年に1stソロアルバム「HORSEMAN’S SCHEME」をリリースすると、ラッパーの活動を本格化しキャリアを積み上げていきます。

またファッションモデルとしても活動するなど、マルチな才能を開花させる注目ラッパーです。

今回は、そんなKID FRESINOの生い立ちやアルバム制作背景、ファッションに迫ります!

KID FRESINOのプロフィール

KID FRESINO公式Twitterより出典

出生名 佐々木寛明
アーティスト名 KID FRESINO(キッド・フレシノ)
生年月日 1993年11月25日
身長 不明
生誕地 埼玉県 所沢市
出身地 埼玉県 所沢市
レーベル DOGER RECORDS

KID FRESINOの生い立ちからアルバム制作、人気ラッパーになるまで

antenna.jpより出典

KID FRESINOは1993年11月25日に、埼玉県所沢市で生まれました。どちらかというと真面目な少年時代を過ごしていたようで、小学生時代には塾にも通っています。実は通っていた塾で、後にFla$hBackSとして共に活動することになるfebb(フェブ)と出会っているようです。そして小学校が違っていたfebbと、同じ中学校に入学。その後世界的ラッパーであるEminem(エミネム)の音楽に没頭し、HIPHOPの世界へ没頭していきます。

Eminemからの影響でトラックメイクとDJを始めたKID FRESINOは、KORG社のシンセサイザーやAKAI社のMPC2000を使い、どんどん自作のトラックを制作。JAY-ZのDVD「Fade To Black」にトラックを作るシーンがあり、何度も見返して使用機材を調べたこともあると語っています。そして池袋のクラブにfebbと通い、自作トラックのサンプルを配布。先にステージへ立っていたfebbに誘われ、ライブDJを担当します。その後febbと繋がりがあったJJJと出会い、Fla$hBackSへ加入するのです。

ライブDJとして加入したKID FRESINOでしたが、ソロ活動も継続します。2012年9月29日JJJのSound Cloudにて、KID FRESINOソロ名義で「Come In」をリリース。「Come In」はすぐさま話題となり、KID FRESINOの知名度も徐々に上がっていきます。そして2013年2月13日、Fla$hBackSの1stアルバム「FL$8KS」がリリース。Fla$hBackSの人気も高まってきた中、2013年5月22日なんとDOGEAR RECORDSからKID FRESINOソロ名義で1stアルバム「HORSEMAN’S SCHEME」がリリースされます。当時KID FRESINOはラップ暦10ヶ月足らずだったようですが、DOGEAR RECORDSの強い後押しもあり、ラップでのフルアルバムを発売することになりました。元々のきっかけは、KID FRESINOの初シングル「Come In」を聴いたDOGEAR RECORDSのプロデューサーが、アルバムのオファーを出したことで話が進んだようです。

ソロ活動にも本腰を入れたKID FRESINOは、2013年12月29日女性カリスマDJのLil Mofoと共作した「Border’s South」をリリース。2014年4月16日には、同じ埼玉出身の人気ビートメーカーAru-2と共作したアルバム「Backward Decision for Kid Fresino」リリースします。KID FRESINOの勢いは止まることを知らず、2014年8月20日「Shadin’」を続けざまにリリースするのです。その時の心情は「どうせ誰も聴いていないだろう」という気持ちもあったようで、だからこそ矢継ぎ早にリリースができたともコメントしています。

ハイペースで楽曲を制作しリリースしてきたKID FRESINOは、「Shadin’」を発表後にアメリカへ留学。レコーディングエンジニアの学校に行くため、語学学校に通います。当時は「ラップは片手間」という気持ちもあり、将来の生業を模索していたようです。しかしKID FRESINOは、楽曲制作のペースをゆるめることはありませんでした。2015年9月23日に、全曲ニューヨークにて制作された2ndアルバム「Conq.u.er」をリリース。2016年7月20日には、愛知県出身の注目ラッパーC.O.S.A.と共作した「Somewhere」リリースします。そんな中、間もなく通うことになっていたレコーディングエンジニアの学校が、トランプ政権の影響から廃校になってしまったようです。具体的な理由はわかりませんが、どうやら専門性が強い学校への支援が少なくなったと思われます。

しかしこのことがきっかけで、KID FRESINOはラップを生業にし生きていくことを決意。日本への帰国後、2017年1月8日にはJJJとコラボした「Salve」が、テレビ東京系列「モヤモヤさまぁ~ず2」のエンディングで起用されます。その後2017年1月25日に、4曲入りのEP作品「Salve」がリリースされると人気はさらに急上昇。2018年2月8日に発表された「Coincidence」では、バンドサウンドと変拍子を華麗に融合させ、音楽業界からも一目置かれるアーティストとなりました。また「Coincidence」のOfficial MVは、2020年10月の時点でYouTubeにて136万回再生を打ち出しています。その後も様々なアーティストとコラボしていき、2019年3月26日には映像作家である山田智和とコラボした「720」が、Nike Jpanの公式YouTube Channelにて公開されました。そして2020年10月7日に公開された新曲「No Sun」のMVでは、圧倒的な映像クオリティと、日本語と英語がミックスされた高速ラップでますます業界評価を上げ続けています。KID FRESINOは、日本の今後のHIPHOPシーンを担う存在になることは間違いないでしょう。


KID FRESINOのファッション

mag.digle.tokyoより出典

mastered.jpより出典

KID FRESINOは、オシャレな洋服を愛用することでも有名です。以前からNikeスニーカーを愛していたKID FRESINOは、2019年3月に「AIR MAX 720」のイメージモデルに起用されています。

またメディアで度々着用している洋服が、アメリカの大手ファッションブランドGAPや、日本の人気ブランドであるCOMME des GARÇONSです。COMME des GARÇONSは、通称「ギャルソン」として若者に認知されています。GAPと日本のスケートボードウェアブランドDiaspora Skateboardsがコラボした際には、イメージモデルとして起用されました。

またその他にも、アディダスの代表的スニーカーである「スーパースター」を履いてメディアに登場することも多いです。


KID FRESINOの代表曲

Salve

「Salve」は、テレビ東京系列「モヤモヤさまぁ~ず2」のエンディングで起用された楽曲です。KID FRESINOの名が一気にメジャーとなった作品で、また共同制作者JJJとのコラボ曲でもあります。日本語ラップが基調で、ギターの単音カッティングが心地良いサウンドです。ノリやすく、ポップな楽曲構成となっています。

 

Coincidence

KID FRESINOが音楽業界から一目置かれた作品でもある、「Coincidence」。バンドサウンドが前面に押し出され、サビ部分では変拍子が入ります。これまでのHIPHOP界では、とても珍しい楽曲構成です。MVでは雪が降る新宿を、KID FRESINOがラップを口ずさみながら歩くという描写。新宿の街並みと雪景色が、とても美しく映るMVとなっています。

 

No Sun

KID FRESINOが、進化し続ける姿を見せた作品でもある「No Sun」。MVは大自然の中で撮影されており、まさにシネマチックな仕上がりです。ラップは日本語と英語がミックスされた、高速ラップ。そしてバンドサウンドが目立つ楽曲構成で、ベースを担当したのは人気バンド「PETROLZ」の三浦淳悟。ちなみに「PETROLZ」のボーカル・ギターを担当する長岡亮介は、椎名林檎が率いるバンド「東京事変」のギター・コーラスを担当しています。

 

いかがだったでしょうか。

 

今回は日本のHIPHOP界を背負う、若きカリスマ・KID FRESINOをご紹介しました。HIPHOP界が若年化する中、KID FRESINOが圧倒的な注目を集める理由がわかっていただけたかと思います。これからの活躍を、HIPHOP界から注目されているカリスマです。

日本人ラッパーについてもっと知りたい方は「押さえておきたい日本人ラッパー20選【2020年最新版】」を参考にしてください。