常に新しいスタイルを模索し、ヒップホップシーンで進化を続けるバイリンガルラッパー、AKLOをご存知でしょうか。
メキシコと日本をルーツに持ち、渡米経験もある彼は、そのワールドワイドなバックボーンを武器に、日本のヒップホップシーンに絶えず旋風を巻き起こしています。
そんなAKLOは、一体どのようなキャリアを経て成功を収めたのでしょうか。ここでは、彼の生い立ちから、成功までの軌跡を探っていきたいと思います。
また、彼の年齢や身長、ファッション、代表曲などに触れ、彼について感じるギモンをさらに深堀りできればと思います。
AKLOのプロフィール(年齢、身長、その他情報)
natalie.muより出典
アーティスト名 | AKLO(本名 非公開) |
出生年 | 1981年(生年月日 非公開, 推定42歳) |
身長 | 178cm |
出身地 | 東京都 |
レーベル | One Year War Music |
事務所 | LEXINGTON CO., LTD / TOY’S FACTORY |
生い立ちから成功まで
AKLOは東京都で、メキシコ人の父親と日本人の母親との間に生まれました。生誕後、程なくしてメキシコへ移住し、幼少期をメキシコで過ごす事になります。メキシコでは、テレビで放映していたMC Hammerの1990年『U Can’t Touch This』に衝撃を受け、ダンスの真似をするような少年であったそうです。彼は幼い頃から、ラップを始めとするブラックミュージックに興味を持っていました。
その後、10代の前半を日本で過ごしますが、高校に上がるタイミングで、アメリカに移住します。そこでは、ダーティーサウスを生み出したとされるニューオリンズ出身のラッパー、Master Pが主宰するレーベルNo Limit Recordsの音源に夢中になり、英語でラップを始める事になります。
高校卒業後、大分県の大学へ進学し、日本へ帰国します。この頃から、日本のヒップホップシーンへ参入すべく、日本語でラップを始めます。
大学卒業後にニューヨークへ飛び、二度目の渡米をする事になります。この渡米は、当時自身の音楽の方向性に悩んでいた彼にとって、自分探しの旅のような意味合いがあったそうです。そこで彼は、ニューヨークの現場のヒップホップシーンに触れていく事で、次第に、メインストリームのヒップホップこそ自分の進むべき道であると思い始めます。そして、その決意を新たに、日本へ帰国する事になりました。
帰国後、2008年にギタリストの空とのユニットアルバム『AKLOと空』をリリースし、アコースティックギターとラップの組合わせという挑戦的な内容でヒップホップシーンへ参入しようとしましたが、残念ながらヒットには恵まれませんでした。彼は次第に、ニューヨークで決意した、メインストリームのヒップホップという自身の進むべき方向性をいかに日本のシーンで打ち立てられるのかという葛藤を抱えるようになります。ニューヨークで鍛錬を重ねたそのバイリンガルラップは、日本のヒップホップシーンで評価されて然るべきだと彼は自負していたのですが、当時、彼はシーンにコネクションを持っておらず、そのシーンへ参入する術自体持ち合わせておりませんでした。
そこで彼は、当時日本では珍しかった、フリーミックステープで自身を売り出す手法を取ります。2009年に『DJ.UWAY Presents A DAY ON THE WAY』、2010年に『2.0』と立て続けにミックステープを発表しましたが、アメリカのメインストリームヒップホップをビートジャックし、そのビートの上でバイリンガルラップをするその内容は、シーンで一躍脚光を浴びる事となりました。
そして彼は、音楽プロデューサーのBACHLOGICにその才能を見い出され、BACHLOGICが主宰するレーベルOne Year War Musicと契約を結ぶ事になります。BACHLOGICは、ヒップホップシーンではSEEDAやNORIKIYO、J-POPのシーンではEXILEや加藤ミリヤなどをプロデュースする名プロデューサーです。AKLOはそのレーベルから、2012年にソロ1stアルバムとなる『The Package』をリリース、2014年には2ndアルバム『The Arrival』をリリースします。彼は多方面から「日本語ラップ最高到達地点」との評価を得て、シーンに名を轟かせる事となります。
そして2016年には、レコード会社のTOY’FACTORYから3rdアルバム『Outside the Frame』をリリースし、メジャーデビューを飾る事となりました。
AKLOのファッション
左は、親交のあるラッパーEGOのブランド、GUALAのパーカーを着用している写真です。
右は、世界的音楽プロデューサー/ラッパーであるPharrell Williamsが立ち上げたブランドBillionaire Boys Clubとコラボし、自身の名前が刺繍されたキャップをリリースしております。
また、実はAKLOは大のピストバイク愛好家という側面も持っています。ピストバイクブランドのLEADER BIKESとコラボし、バックパックを発売するなど、ピストバイク業界においても影響力を持っています。
brotures.comより出典
AKLOの代表曲
RED PILL
2012年リリース1stアルバム『The Package』の収録曲。この曲は、1990年公開映画『マトリックス』から着想を得て作られたと思われます。この映画では、主人公であるネオが、虚構の世界に留まるか、真実の世界に進むかの二択に迫られた際に、青い薬と赤い薬を差し出されるシーンがあるのですが、このRED PILL(赤い薬)という題名は、このワンシーンから付けられた事が伺えます。劇中、赤い薬を選んだネオは真実の世界へと進んでいきますが、その姿は、当時、レーベルとの契約を勝ち取り、ヒップホップシーンへと参入していったAKLOと重なるものがあります。
McLaren
2016年リリース3rdアルバム『Outside the Frame』の収録曲。”金持ち”の象徴、イギリスの高級自動車メーカーMcLarenと、「捲られる」の韻踏みを主軸に、この曲のストーリーは進んでいきます。ヒップホップシーンの中で、自分は他の追随を許さない、決して「捲られん」とセルフボースト(自己賛美・自己顕示などの意味)するそのラップはシーンを圧倒しました。
以上、彼の生い立ちから、彼がシーンで成功を掴み取るまでの軌跡を辿っていきました。
持っていたギモンも解消され、彼の人となりが身近に感じられたのではないでしょうか?
国際的なバックグラウンドを武器に、セルフボーストという、自身のスキルを誇示していくラップスタイルでヒップホップシーンに名を馳せていった彼ですが、絶えず変化するシーンの中で、今後どのような動きを見せていくのでしょうか。
今後も彼から目が離せません。
日本人ラッパーについてもっと知りたい方は「押さえておきたい日本人ラッパー20選【2020年最新版】」を参考にしてください。