ヒップホップ界のレジェンドNasのプロフィール、生い立ちは?

ヒップホップ界のレジェンドNas。

ニューヨーク・アンダーグラウンドシーンが生んだまさに生きる伝説のラッパーです。

ヒップホップの黄金時代から現在に至るまで、常にヒップホップの最前線にいる彼のプロフィールや生い立ちをご紹介します!

Nasのプロフィール

biography.comより出典

出生名 Nasir bin Dara Jones 
別名 Nasty Nas、Nas Escobar
生年月日 1973年9月14日
身長 173cm
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク市クイーンズ区 ロング・アイランド・シティ地区
レーベル Columbia Records、The jones Experience/def Jam、Universal Music LLC(日本)

ブルックリン生まれ団地育ち。ストリート時代から伝説的ファーストアルバムまで。

 

 

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My childhood hero’s. Damn , can’t it all be so simple again

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Nasはニューヨーク市のブルックリン区で生まれ、クイーンズ区のロング・アイランド・シティ地区にあるクイーンズブリッジ団地で育ちました。父はミシシッピ出身のジャズ・ブルースミュージシャンのOlu Dara。母は米国郵政公社に勤務していたFannie Ann。父のOlu Daraの名前は DaraMiles Davisの自伝に「素晴らしいと評判だ。」として触れられ、その当時から素晴らしいミュージシャンであったことがうかがえます。Olu DaraはArt Brakyらのビックプレイヤーとの共演で有名になりました。

Nasの出生名のNairはアラビア語で「救うもの、守るもの」という意味。アフリカ文化に傾倒していた父からの名付けなのではないかと推察されます。Nasの実の弟はBraveheartsというヒップホップ・ユニットのMC、Jungle。Nas達は幼い時から音楽に囲まれた環境で育ちます。父の影響で、Nas自身もトランペットを演奏していました。彼が近所で演奏をすると、それを聴きに様々な人が訪れ、踊り始めたといいます。彼は後に「その時に音楽がユニバーサルな言語であることを学んだ。」と語っています。

10代になると、同じ団地に住んでいた親友Willy”IllWill”Grahamが聴かせてくれたヒップホップのレコードに影響を受け、ライムを書くようになります。WillyがDJをし、NasはKid Waveの名前で活動を始めます。Nasは8年生で学校を退学し、ドラッグディーラーになります。退学をしてもNasは独学で勉強を続け、コーランや聖書、Five Percent Nationというイスラム系宗教団体の教書などを熟読します。1980年代後半にプロデューサーのLarge Preffesorに出会い、RakimとKool G Rapがアルバムのレコーディングをしていたスタジオへと行きます。その時のNasはスタジオでのレコーディングをしたことがなく、自分の機材を持って初めてスタジオ録音を行わせてもらいます。しかしその時録音された音源は一切発表されませんでした。

1991年、NasはMain Sourcesの曲『Live at the Barbeque』に参加し、ここで初めてNasのラップが世に出ました。そして1992年、後にNasのマネージャーになる3rd BassのMC Serchからアプローチを受け、Columbia Recordとの契約を結びました。

3rd Bassへの客演などを経て、1994年にファーストアルバム『Illimatic』をリリースします。Large ProfessorやPete Rock、DJ・Premier、Q-Tipら当時のニューヨークの有名プロデューサーが集結した本作は、セールスの面では2年間で50万枚と伸びませんでしたが、多くの雑誌などから大絶賛を受け、現在に至るまでヒップホップ史上最も優れたアルバムの中の一枚、とされています。この当時、アメリカのヒップホップでは「西高東低」現象が起きていて、2pac、Snoop Doggy Dogなどの西海岸ラッパーの方がRakim、The Notorious B.I.Gらの東海岸のラッパーよりも人気がありました。そんな情勢に一矢報おうとした地元クイーンズのヒップホップ シーンの力が集結したアルバムがこの『Illimatic』だったのです。


セカンドアルバム『It Was Written』で全米1位に。メインストリームへ。

1995年にはAZの『Doe or Die』、The Infamous Mobb Deepの『The Infamous』、Raekwon の『Only Built 4 Cuban Linx』、Kool G Rapの『4.5.6』などのアルバムにゲスト参加しました。また、それまでマネージャーを務めていたMC Serchとは道を分かち、後に実業家として有名になるSteve Stouteが新しいマネージャーとなりました。

ファーストアルバム『Illimatic』で得た高い評価にプレッシャーを感じ、Nasは2枚目のアルバムの制作に躊躇していた時期があったようです。そんなNasを鼓舞し、1996年のセカンドアルバム『It Was Written』のリリースを後押ししたのがSteve Stouteでした。『It Was Written』は全米初登場1を記録。Trackmasters Entertainment、Dr.Dre、らを製作陣に新たに加え、R&Bのテイストを増した内容になっています。商業的に大きな成功を収めたこのアルバムはNasの名をヒップホップのメインストリームへと押し上げます。

1997年、Dr.Dreがメインプロデューサーとなり、Foxy Brown、Az、Cormegaと共にヒップホップ グループ、The Firmとして『The Album』をリリースします。しかし大ヒットとはならず、また、メンバー間のいざこざも多く、このグループは単発に終わりました。特にCormegaとの確執は2005年まで続き、それまではお互いにディストラックを発表し合うビーフの関係でした。(ところでビーフ 、といえばNasとJay-Zのそれはヒップホップ史上でも語り草になっています。1996年にNasがJay-Zのファーストアルバム『Reasonable Doubt』への参加を断ったことが発端になり、お互いへのdissを応酬しあう間柄は2005年の和解まで続きました。)

Nasは1999年には『I Am…』と『Nastradamus』の2枚のアルバムを発表しましたが『Nastradamus』は急遽のトラックを全て録音し直すという事態になり、批評家達からの評価は芳しいものではありませんでした。しかし2001年には『Stillmatic』、2002年『God’s Son』を発表、その評価を取り戻しました。また2002年には『I Am…』と『Stillmatic』に入りきらなかった音源をまとめた『Lost Tapes』をリリース。

2004年『Street’s Disciple』を発表。2006年は『Hip Hop is Dead』で当時のヒップホップ シーンに総攻撃を受けましたが皮肉にもセールス的には成功を収めました。

2008年『Untitled』、2012年『Life is Good』、2018年にはKanye Westプロデュースの『Nasir』を発表しました。また2019年には『Hip Hop is Dead』、『Untitled』『Life is Good』からの未発表曲を収録した『Lost TapesⅡ』を発表。

2020年8月にニュー・アルバム『King’s Disease』を発表しています。

ヒップホップの黄金時代の生き証人とも言えるNas。これからもその活躍を楽しみにしたいと思います。


Nasのファッション

 

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Nasのファッションは王道のヒップホップテイストで、Gucciなどのハイブランド、NikeやPumaなどを着用しています。

特に愛用しているのは伝説のハーレムの仕立て屋とよばれる、Dapper Danによるデザインの服です。ハーレムの黒人たちのためにGucciのブートレグを仕立てていたDapper Dan。なんとGucciはそんなDanとタッグを組むことを持ちかけ、Danの店があったハーレム125丁目に共同アトリエを構えたのです。さすがGucci、ずいぶん粋な計らいですね。


Nasの代表曲

The Message

大ヒットしたセカンドアルバム『It Was Written』収録曲。映画『レオン』のエンディング曲として有名なStingの『Shape Of My Heart』の悲しげなギターのループとNasのクールなラップの組み合わせ。一度聞いただけですぐに心奪われる名曲です。

 

Nas Is Like

アルバム「I Am…」に収録されています。無駄のない構成とNasのゲットーで育ってきた自分たちの現実とラップへの求道心とも言えるような思いを乗せる、まさにNas is likeなリリックが秀逸です。1992年に撃たれて死んだ親友、ill willのことにも触れている曲となっています。

 

I can

アルバム『God’s Sun』の収録曲。ベートーベンの『エリーゼのために』のメロディーラインをサンプリングしたキャッチーなトラックに、「なりたいものになれる。もし努力さえすれば。自分が将来行きたいところに行ける。」と、自分のルーツであるゲットーの子供達に向けているだろうリリックを繰り返しています。シンプルなだけにより、Nasの信念と熱い想いが伝わってくるような名曲です。


いかがでしたか?

ヒップホップの黄金時代から現在に至る彼の経歴や、彼の作品に宿る非常に強いメッセージの裏側に迫ることができたのではないでしょうか?

Nasの楽曲のセンスのもさることながら、その裏側にある時代背景や思いを知ると、より深く彼の楽曲を味わうことができると思います。

これを機会にぜひ、彼の楽曲を聞いてみてください!

USラッパーについてもっと知りたい方は「USラッパー20選【2020年最新版】」を参考にしてください。