ANARCHYの半生 〜ラッパーとしての成功から映画制作まで〜

日本のゲットーが生んだラッパー ANARCHY。

日本の「ゲットー」の1つとして例にあげられる地区、京都市伏見区向島出身のラッパーで、現在はラップのみならず映画監督まで幅広く活躍をしています。

ここでは、そんなANARCHYの今までの半生を追い、ラッパーとしての成功から映画制作までの経緯に迫りました。

また、彼のファッションや代表曲もあわせてご紹介し、その素顔に少しでも迫れたらと思います。

 

ANARCHYのプロフィール

tower.jpより出典

出生名 北岡健太(きたおか けんた)
アーティスト名 ANARCHY(アナーキー)
生年月日 1981年1月1日(40歳)
身長 170cm
出身地 京都市伏見区向島
レーベル R-RATED RECORDS、avex entertainment、1%|ONEPERCENT

ANARCHYの生い立ち

ANARCHYこと北岡健太は1981年大阪府に生まれます。1984年、治安が悪いことで知られている京都市伏見区向島の低所得者向け市営団地に転居します。喧嘩がそこら中で起きているのは当たり前、という環境で、小学生の時に両親は離婚。ロカビリーバンドでギターボーカルをしていた彫り師の父親に育てられました。

幼い頃から父親の趣味の、ロックやロカビリーなどの音楽を耳にしていたANARCHYは、父親に憧れ、一度ギターを教えて欲しいと頼みましたが、「まず自分でやれ、手のマメが潰れてから言ってこい!」と言われ、「めんどくさ!」ということで、楽器は諦めたのだとか。

ANARCHYが自分で「衝撃を受けた」と覚えている音楽は、小3の頃に聴いたThe Blue Heartsだとのこと。叔父に借りたテープで聴いた『TRAIN−TRAIN』の、子供でもぐさっとくるような言葉に衝撃を受け、めちゃくちゃかっこいい音楽だな、と子供心にも感じた、と語っています。The Blue Heartsへの思い入れは深く、アルバム『BLKFLG』では『チェインギャング』のカバーを収録、ANARCHYはこの曲の歌詞をタトゥーにして体に入れているほどです。


ヒップホップとの出会い、少年院へ

ヒップホップ への入り口はスケボーやバスケのビデオで流れていたのに触れたのが最初で、最初に手にいれたCDは、中1くらいの頃にレコード屋のラップコーナーでジャケ買いしたN.W.Aの『Niggaz4Life』だったそうです。

地元の団地の公園でスケボーをやっている時に、自分たちのテンションを上げるため、Hi-Standardなどのメロコアや、ヒップホップ をかけるようになる中、一番「グッときた」のは日本語ラップだったそうです。一番初めにリリックを覚えたのはスチャダラパーで『サマージャム95’』や『今夜はブギーバック』などを友達同士でカバーしていたのだとか。その後、BUDDHA BRANDやキングギドラ、RHYMSTERなどのテープが回ってきて、中3の頃にはヒップホップしか聴かなくなったそうです。

その頃にライブも観に行くようになり、その頃に見たライブでもっとも記憶に残っているものとしてMaguma MC’sのやっていた『地熱』というイベントを挙げています。なかでもRHYMSTERやMaguma MC`s、餓鬼レンジャーが出た時の超満員の熱気には衝撃を受け、「これはやばい!これや!」と思ったそうです。そこからANARCHYはOZROSAURUSなどの東京のラップや、大阪のMaguma MC’sDesperado、名古屋のTOKONA-XM.O.S.A.D.などを熱心に聴いていました。

なかでも、Maguma MC`sとの出会いがなかったらヒップホップ をやっていなかった、とANARCHYは語っています。その出会いはANARCHYが中3の頃、自分たちが歌う場所が欲しくて、自分でイベントを開いた際でした。中学生がパーティをやっている、というのを聞きつけて、Maguma MC’sのRYUZOが現れ、マイクを握ってくれたのです。ANARCHYはそのことをきっかけにヘッズとしてRYUZOのイベントに頻繁に顔を出すようになりました。

300人も集まったそのイベントの反響は大きく、その後ANARCHY達がいつも遊んでいた地元の公園に、別の中学や他の街からラップをしている子たちが集まってくるようになりました。ラジカセを置き、サイファーでラップを回したり、ダンスしている子がいたり、スケボーをしている子がいたり。団地の公園がかなりヒップホップ な空間に出来上がっていました。その時集まってくるようになった仲間と、ANARCHYはサムライ、というグループを組みます。それが後に2000年結成のRUFF NECK(ANARCHY、JC、NAUGHTY、YOUNG BERY、DJ AKIOによるユニット)につながりました。

ANARCHYは16歳の頃に暴走族の総長となり、ケンカや悪さを繰り返し、17歳で決闘罪などに問われ1年間を少年院で過ごします。少年院の中で見たテレビ番組で観たZEEBRAの『MR.DYNAMAYTE』が、消えかけていたANARCHYのヒップホップへの情熱に、再び火をつけました。この時の体験は後の『K.I.N.G.』という曲で「少年院で見るテレビにZEEBLA」というラップになっています。その後ANARCHYは少年院のパソコンにリリックを書きためるようになりました。残念ながらそのリリックは全て消されてしまったそうですが、「あの時間は今になって考えると大事だったと思います。」とANARCHYは語っています。


自主制作の1stシングルからメジャーへの道

cinra.netより出典

ANARCHYが少年院を出ると、Maguma MC`sの新たなクルーができてきて、そのメンバーは彼の同世代で構成されていました。置いてきぼりを食らったように感じたANARCHYはそれまで慕っていたMaguma MC`sとは距離を置き、2003年、自主制作のEP『Ghetto Day’z』を発表し、各方面から注目されます。縁遠くなっていたMaguma MC’sのRYUZOもANARCHYに会いにきて、そのころRYUZOが立ち上げようとしたレーベル、R-RATEDへの合流を求められ、ANARCHYはそれに同意、レーベルの立ち上げに関わります。

その後交流のあった名古屋のシーンや全国区プロデューサーへの客演をこなすようになり、2005年12月、自身の1stシングル『ROB  THE WORLD』(Future Shock/R-RATED Records)を発売します。

2006年4月、自身の生い立ちをラップした2ndシングル『Growth』(R-RATED Records)を発売します。

2006年12月、1stアルバム『ROB THE WORLD』(R-Rated Records)を発売。『ミュージック・マガジン』『Riddim』詩などで年間・ベストアルバムに選出されました。また、ヒップホップ誌『blast』最終号企画「The Future 10 of Japanese HIpHop」において将来を期待できる5人に選出され、表紙を飾りました。さらに、『Quick Japan』70号記念総力特集で「0年世代日本次の100人」に選出されたり、『実話ナックルズ』カルチャー誌『High&Out』や『HARDEST MAGAZINE』の表紙を飾りました。

2008年2月には、当時の日本人ラッパーとしては異例の自伝『痛みの作文』を発売します。また、この年の9月に2ndアルバム『Dream and Drama』(R-Rated Records)を発売します。このアルバムは『Music Magazine』『Riddim』『bounce』等の雑誌にて2008年邦楽ヒップホップアルバム第1位を獲得しました。

2011年8月、全編MUROのプロデュースにより3rdアルバム『Diggin’ Anarchy』(R-Rated Records)を発売。この年の10月には朝日新聞のコラムで『下流リアルに 新世代ラッパー』のタイトルとともにANARCHYが取り上げられました。

2013年11月に4thアルバム『DGKA (DIRTY GHETTO KING ANARCHY)』をフリー・ダウンロードにて公開、アメリカの大手配信サイトDatpiff、audiomackのチャートで1位を獲得します。

2014年には所属レーベルをavexに新設した『CLOUD 9 CLIQUE』に移籍、7月にメジャー1stアルバム『NEW YANKEE』(avex)を発売します。また、この年の7月には自身の生い立ちを追ったドキュメンタリー映画『DAICHI NO YUME』が渋谷UPLINKで公開されました。

2016年にはメジャー2ndアルバム『BLKFLG』(rhythm zone)を発売。2018年には新たなレーベル/プロダクション『1%|ONEPERCENT』を主宰することを発表、第一弾アーティストとしてWILYWNKAがシングル『Rapper’s Flow』でデビューしました。

kyoto-np.co.jpより出典

2019年3月にはメジャー3rdアルバム『The KING』(cutting edge)を発売し、avexとの契約を終了します。またこの年の10月には野村周平主演の初監督映画『WALKING MAN』が公開され、活躍の場を拡げています。


ANARCHYのファッション

avex.jpより出典

hypebeast.comより出典

ANARCHYといえば身体中に彫られたタトゥーのイメージが強いのではないでしょうか。芸術面でもかなり優れていると評価が高いようです。初めてタトゥーをいれたのはなんと中1の頃だったそうです。

ファッションへの造詣も相当に高く、東京では原宿がお気に入りの街だそうです。ミシカ、GDKなどのアイテムの着用が多いようです。夏はVANS、冬はエアジョーダンというルーティンでスニーカーを履いていた時期もあるそうですが、最近では年中VANSを履いているのだとか。

ANARCHYがプロデュースを務めるセレクトショップ『BLACKHOUSE』が京都市中京区にあります。エッジの効いたセレクトは、さすが!という感じです。


ANARCHYの代表曲

Fate

2ndアルバム『Dream and Drama』収録のANARCHYの代表曲。この曲のミュージックビデオはスペースシャワーTV VIDEO MUSIC AWARDS 09」にて「BEST HIP HOP VIDEO」を受賞しました。曲中の「後ろ髪引くようなハードな環境 涙の分だけハートは頑丈」というリリックは、ANARCHYの本質をよく表しているのではないかと思います。

 

DAYDREAM

埼玉県熊谷市を拠点にしているヒップホップクルー・舐達麻のBADSAIKUSHとのコラボレート曲。プロデュースは舐達麻の『FLOATIN』『GOOD DAY』などの楽曲を手がけるDJ/ビートメイカーのGREEN ASSASSIN DOLLARです。

 

WALKING MAN

同タイトルの自身の初監督映画の主題歌で、映画を記念して製作されたコンピレーション・アルバム『WALKING MAN THE ALBUM』に収録されています。「なにものかになってやろう 今は今しかないんだよ!」誰しもの胸に刺さる真っ直ぐなメッセージの詰まった曲です。


いかがでしたでしょうか?

日本のゲットーから大物ラッパー、そして映画監督としても活躍しているANARCHYの素顔が、少し見えてきたのではないでしょうか。

日本人ラッパーについてもっと知りたい方は「押さえておきたい日本人ラッパー20選【2020年最新版】」を参考にしてください。